手漉き和紙の里(17)~立ち上げた駿河柚野(ゆの)紙~  by 菊地 正浩

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旧柚野村役場と二階の柚野資料館
 静岡県(駿河国)富士郡芝川町。県の中東部、富士川沿岸の町で北西は天子岳(1330m)を境に山梨県、東は富士宮市、南は静岡市清水区に囲まれている。富士川の支流芝川などの河谷(かこく)部に集落があり、山地が80%を占めている。昭和31年(1956)、芝富村と内房村が合併して富原村となり、同32年柚野村と合併して芝川町となった。富士郡にはたった一つの町で、平成の大合併にも参加しないで現在に至っている。
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芝川の清流とポットポール(甌穴)
 歴史の面影は旧柚野村役場の二階にある柚野資料館にわずかながら残されている。この柚野を流れる芝川には、ポットポール(甌穴(おうけつ)という天然記念物で県指定文化財)という珍しいものが見られる。河床の所々に富士山の溶岩が露出し、その表面を小石が削って穴を掘り下げたものである。このような清流のある農村地帯には、手漉き和紙の里である雰囲気が感じられるのだが、それらしい様子も痕跡もない。その理由は駿河柚野和紙が新しい和紙の里だからである。
昭和3年(1928)の記録によると、たしかに柚野紙は存在している。柚野村と合併する前の芝富村や大宮町(現・富士宮市)で漉かれていた。その後何時頃かは定かでないが消えてしまった。しかし、昭和も後半になり駿河柚野紙を立ち上げ和紙の里を作った人がいた。余談であるがこの地域一帯には、大晦日(おおづまり)、蒲沢(かわさわ)、楠金(くすかね)、羽行(はぎょう)、月出島(みかづきじま)、月台(げんだい)、上村(わむら)、塩野(しょの)、稲子(いなこ)など難読地名の多いことも印象的である。
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富士山をバックにした柚野手漉和紙工房
●和紙の伝統を守る柚野紙  
内藤恒雄氏は東京出身で紙漉き農家とは無縁であった。大学卒業後、埼玉県小川、島根県八雲、岡山県倉敷で6年間手漉き和紙の技術を学び、昭和51年(1976)に富士山の見えるこの地を選んで和紙工房を開いた。入口に立つと後方には美しい富士山の全景が目に飛び込んでくる。柚野紙は原料に自家製の楮、三椏、雁皮のみを使用する。もちろんネリは黄蜀葵、水は富士山の雪解け水である地下水を汲み上げて使用する。昔ながらの製法でオリジナル和紙を漉いている。
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オリジナル製品
 漉いた紙は富士山の裾野で天日乾燥されるので、しっとりとした風合いと光沢を持ち落着いた味わいがある。市松模様の襖紙を使用した和室の雰囲気を想像していただくと良い。平成6年4月、天皇、皇后両陛下静岡県行幸、啓の折にこの柚野紙をお買い上げになっている。また、翌年の7月には皇后陛下より宮内庁を通じてお買い上げになっている。このように昭和も後半になってから、日本の伝統文化を継承しようと新しく手漉き和紙の里を開き、立ち上げた人もいる。

( 2009年8月1日 寄稿 )