手漉き和紙の里(19)~復活された海老根(えびね)和紙2~  by 菊地 正浩

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●安積歴史博物館
 旧士族が入植した桑野といわれるこの地区は教育水準も高く、明治22年(1889)に福島県立尋常小学校(現在の安積高校)が設立された。欧州の建築を模したルネッサンス式洋風建築を見て、村の人たちは桑野御殿ができたと驚き喜んだという。
 現在は国の重要文化財に指定され、安積歴史資料館として多くの貴重な資料が展示されている。ここから多くの学者、科学者や文化人が輩出されたが、教壇に立つ傍ら和紙についての著書を残した東野辺薫(本名野辺慎一/1902~62)は、二本松市に生まれ少年時代を上川崎村で過ごした。安積中学を卒業、早稲田大学を卒業して教壇に立ちながら、小説や戯曲を発表した。なかでも昭和18年(1943)に発表した「和紙」で芥川賞に輝いている。手漉き和紙の里上川崎で和紙作りを経験したが、貧しい村で厳しい寒さと戦いながら和紙作りに励む農民の姿を描いたものである。
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安積歴史博物館
入館300円/10~17時/月曜(祝日の場合は翌日)休/デ024-938-0078
http://www.asaka-kuwano.jp/hakubutukan/
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熊田七郎宅
●海老根和紙の里に保存会が活動
 阿武隈川を境に西は安積開拓で郡山市の中心地になり栄えた。東は取り残された山村と言っても過言ではない。阿武隈川の支流谷田川を越え、小野郡山線(県道65号)で小野小町生誕の地で知られる小野町へ向かう。その途中に中田町海老根という集落がある。三春滝桜で有名な三春の里が近い。集落は15~6軒で皆が熊田姓の農家である。会長の熊田七郎さんに取材する機会を得た。
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楮と楮を焚く竃
 この集落では冬の副業としていた。原料の楮は自生していたし、ネリの黄蜀葵も採れた。ここではネリと呼んでいた。肝心の水は谷田川や大滝根川の清流よりも、水質の良い地下水のほうが良く、井戸を掘って使っていた。水晒しのほか雪も降ったので夜外に出して晒した。熊田七郎さんが最後まで紙漉きを続けていたが、戦後を機にやめてしまった。10年ほど前に郡山市、中田町、地元公民館などから伝統ある海老根和紙の復活をと言われ、海老根伝統手漉和紙工房を作った。
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手漉き和紙工房と漉き場
 今では、あぶくま養護学校の児童が体験しに来たり、海老根小学校、中田小学校の子どもたちが体験学習をしたりする。もちろん、卒業証書は漉いた和紙である。また、学校の先生が中心となり、町起こしの祭りを計画、秋蛍というたくさんの行灯を作って灯す行事が賑わっている。当然、行灯には手漉きの和紙が貼られる。この和紙を漉く指導も行っている。このように海老根和紙は確実に復活している。後継者の育成もしているようで、これからも伝承されていくことであろう。

( 2009年8月15日 寄稿 )