地歴と旅(KK)

2/7ページ

江戸・東京を支え・守った閘門(こうもん)(1)   by 菊地 正浩

  • 2016.03.19

  治山・治水は国づくりの柱と言われてきた。徳川家康による江戸開府にはじまり、世界一の都市「首都東京」の繁栄に至るまで、水との戦いが続けられてきた。いや、現在も異常気象と思われる「線状降水」による河川の氾濫・洪水と戦っている。 江戸・東京を守り、船運の河港としても栄え、経済発展に寄与してきた日本の閘門。中でも関東の閘門なしには江戸・東京の発展はなかった。 見沼通船堀~我が国最古の閘門開閉~ 国指定史跡 パナマ運河(1914年完成・海抜26mの高さにあるガツン湖まで上昇させる)より180年以上も歴史がある世界最先端の運河。1727年(享保12年)徳川吉宗が、東西2本の代用水路とその間を […]

 「日本列島のへそ」と呼んでいる山梨県韮崎市  by 菊地 正浩

  • 2015.09.27

  北緯35°41′27″ 東経138°27′40″ 日本列島の最北端北海道稚内市と最南端鹿児島県佐多岬の二点を結ぶ円で囲んだ中央が、日本の最東端南鳥島と最西端与那国島との中心の経線と交差する地点。   ○へそと言われる地はフォッサマグナ地帯でまさに日本列島の東・西日本の境目。   フォッサマグナとは大地溝帯(日本列島が作られた時に出来た溝)で、新潟県の糸魚川~静岡にいたる構造線西側の境目である。東側の境目は新潟県柏崎~千葉構造線である。フォッサマグナはヨーロッパとアメリカの境目でもある。   フォッサマグナ地帯の東西両側には日本列島の基盤をなす最古の地 […]

坂口安吾文学に触れる旅  by 菊地 正浩

  • 2014.07.25

  新潟県十日町市松之山は県の南西部、南は長野県に接し豪雪地帯である。 渋海川が西寄り、越道川と東川が東寄りを北流。地名は旧郷名を継承し、越道川上流の谷合にある鷹ノ湯、鏡ノ湯、庚申ノ湯の三つを総称して松之山温泉郷がある。 昭和37年の地滑り前後に、旧時代の地滑り地を開墾した「千枚下り」と称する棚田は、山奥にひっそりとたたずみ、当地区一の広さと美観を誇る。   ○坂口安吾記念館(庄屋の館・財団法人大棟山美術博物館) 明治39年(1906)新潟県西大畑町で生まれる。東洋大学を卒業し無頼派作家、新戯作派と呼ばれた昭和時代を代表する流行作家。戦後文学の突破口を作ったと言われる。戦後 […]

隠れキリシタンの郷  by 菊地正浩

  • 2014.06.05

  新潟県十日町市松之山湯山。東頸城丘陵と魚沼丘陵を東西に横切る山間路。   南北朝期、新田義貞、上杉謙信などの支配を受けてきた。越前、越中、越後三国以前は、越国(こしのくに・高志国、古志国)とも表記。中央政権からは山々を越えていくところ、あるいは琵琶湖や日本海を舟航して辿りつく、州島同然の土地から命名されたとの説もある。   町史によれば北越戊辰戦争、天明の悪作、飢饉などで、この頃の平和な時期は40年ほどであった。当時の死失人数書上帳には各村々での飢人が多数記されている。       < 松蔭寺のマリア観音 >   江戸幕 […]

江戸情緒を感じるトイレと近代的なトイレ  by 菊地 正浩

  • 2014.03.12

    江東区白河一丁目(旧深川区白河町)に八代将軍徳川吉宗の孫、松平定信の菩提寺「霊巖寺」がある。江戸六地蔵の一つでも知られ訪れる人が多い。 定信は陸奥白河藩主となり、寛政の改革をしたとして知られる。白河藩主だったことから白河町となった。当初は隅田川の西側で霊岸島にあったが、大小名、寺院の移転計画により深川に移転させられた。 霊巖寺のそばに深川江戸資料館があり、当時の歴史を学ぶことができる。しかし、ユニークなのは江東区公衆便所である。外観は江戸の雰囲気を出し、入口には江東区の人口などを書いた看板が架かっている。便所そのものは、江戸時代のボットンではなく、水洗であるが和式なのは残念で […]

1 2 7