『篤姫』第13回「江戸の母君」

NO IMAGE

 ここんところバタバタしており、ビデオを録画したものの1週間ほど観れずじまいでした。更新もままならぬ状況でしたが、菊地・伊藤・丹羽会員の協力もあり、ストックだけはありましたので更新だけはとりあえず維持できました。
 翌日のニュースにもありましたが、『篤姫』の視聴率は視聴率20%以上をずっと維持し続けており、人気の秘密については、「家族愛」が注目されています。まあ、僕も最初は幕末だし、失敗するだろうと思っていましたが、今回のドラマは随分とストーリーの作り方が丁寧な気がします。本の売上げにも反映するとよいのですが。
 前置きが長くなってしまいましたが本題に入ります。海路でいきなり船酔いの篤姫。僕も大阪~志布志の「さんふらわ」でやられました。史実では陸路だったのですが。京都で近衛忠煕の養女となり、江戸へ向かいます。江戸までの道中はいかにあっさりでした。このあたりで2~3話引っ張ってほしかったのですが。京都では忠煕にライチを贈っていましたね。ライチは「茘枝」と書き、桐野先生の『膏肓記』によると、中国や琉球ばかりでなく、鹿児島の佐多や山川の薬園で栽培されていたようです。あと江戸の母君は京都で西陣織、江戸の薩摩藩邸ではお菓子を篤姫に贈っていましたが、江戸に着いてからなかなか会ってもらえず、おまけに御簾ごしでの面会。御台の話は早合点だといい、篤姫を驚かせます。斉彬の正室の英姫は「ひさひめ」と紹介されましたが、「ふさひめ」とも読むようです。のちに恒姫と改めますが、斉彬死後、落飾して栄樹院となってから、あとを追うように2カ月で亡くなってしまうようです。
 一方、江戸行を希望していた尚五郎は、その役を西郷に取って代わられ悔しがります。そして小松清猷のもとを訪ねますが、清猷のほうも琉球に行くことになることを話し、尚五郎は自分を恥じて泣きます。清猷は琉球で亡くなってしまうのですが。
 史跡紀行では京都の近衛邸跡や錦小路薩摩藩邸跡、京都御苑などを紹介していました。京都御苑は以前取材したことがあるのですが、近衛邸や薩摩藩邸跡などは行けずじまいです。ということで今回はUPできるような写真もスタンプもありませんので、割愛させていただきます。
投稿者:管理人
【人気blogランキングへ】