新幹線を運転する4

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写真は今から30余年さかのぼり昭和50年春、0系電車全盛の頃の東京駅。昭和39年新幹線開業、45年大阪万博、そしてひかりは西へ博多開業の年でした。このひかりのステッカーは、行き先表示が電車にまだ設置されてなかった頃、よくホームでお客が、ひかり号とこだま号を乗り間違えることが多く、これを防ぐために、ひかり号だけにこの表示ステッカーを貼ったのです。さてこれから乗務するのは東京10時発ひかり5号博多行き、車両編成H59(Hはひかり、こだまはKで区別していた)16両編成。勤務は33仕業、通称とんぼ仕業。つまり、日帰り(とんぼ帰り)で東京~新大阪を運転する勤務です。
この当時の東京運転所運転士の受持つ電車は、基本的に東京から午後下りの新大阪方面電車と新大阪から午前中の上りの東京行き電車を運転、東京の運転士は下りは新大阪までの運転でした。新大阪まで運転する勤務の多くは1泊2日仕業で、大阪に行くと必ず泊まる1日1回片道だけの運転で、これに比べとんぼ帰りの勤務は、月に1、2度ですが結構ハードな勤務でした(現在JR仕業では列車のスピード化による時間短縮に伴って、とんぼ仕業をしてその日再び下り、1泊して上るという勤務が定例化されているようです)。
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品川の東京運転所車両基地にて。後列左2番目が筆者
ひかりの乗務は運転士2人、今日の相方は運転士科同期生の田村氏。同じ釜の飯を食った仲、お互い気心もよくわかり、ハードなとんぼの仕事でも気が楽です。発車15分前、運転準備に取りかかります。最初に、ひかり5号の列車番号を車両に設定登録し、運転台カウンターの各機器のスイッチ類を点検します。そして、車両の清掃など準備終了の標識のランプが赤から白に変わったことを確認すると、ブレーキ弁ハンドルを運転台カウンターの左側にある円筒形の切り口に差し込み、ブレーキの圧力を確認。そしてブレーキ位置におくと発車準備OKです。
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「チーン」と鳴るベルとともに速度計の速度表示上のランプが、0KMから70KMに移動。ATC信号出発OKの指示が出て、線路のポイントが本線につながりいよいよ発車です。懐中時計の発車時間を確認、ホームの発車ベルの音がブザーに変わり、ドアが閉まり、運転台パネルの戸じめ表示灯のランプが点灯すると、「戸じめ点灯、信号70、時刻よし」指先と目で声を出しながら、それぞれの表示を確認。そして、右足元にあるペダルを踏むと、警笛の音とともに発車です。ブレーキ弁ハンドルを緩解すると、カウンター中央の逆転レバーを前進位置に倒し、右側の通称ノツチと呼ぶ主幹制御器主ハンドルを1段下げる。車に例えればアクセルと同じで、1から10まで刻まれ、数字が多くなる程にモーターに電流が多く流れ速度を増していきます。今日はゴールデンウィーク前日、混雑したホームの人混みからしてこのひかり5号は超満席状態で、1ノツチではかなり重苦しいようです。続けてノツチを下げていくと、1両4個ある185KWのモーターが16両分64個一斉に動きだし、後部から力を増して来る感覚が身体に伝わって来ました。本線に入るリズミカルなポイントの渡り音を後に、春の時雨のなか東京駅を離れていきます。ひかりは西へ。
パート5につづく!
投稿者:にわあつし
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