『風林火山』第45回「謀略!桶狭間」

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前回に引き続きあぼ~んなシナリオの謀略にとうとうアゴが落ちました
前回で成敗されればよかった寅王丸は、幽閉先の寺から逃亡して討ち取られますが、二度も襲い掛かった危険人物への警備ってそんな手薄なのですか。戦国の世に平和ボケも甚だしい。
で、今川だって寅王丸が信玄暗殺に失敗したのに、何も警戒しないのでしょうか。謀略というぐらいだから、勘助忍者説にちなみ、桶狭間で義元の居場所を信長に教えるかと思えば、ただ義元に進言し、義元を怒らせて逆の行動をとらせただけ。寿桂尼だって勘助の二度目の訪問前に普通気づくでしょうに。で、川中島で予算かけるためなのか、桶狭間の戦いを入れると川中島がボケてしまうのを恐れたのか、戦いのシーンや義元が討ち取られるシーンはまったく出てこない。たしか桶狭間は野営していたはず。なのに屋敷にいて晴れたところをいきなり鉄砲で襲われるとは本当に警備怠慢なドラマですな。
肝心の信長も出てきません。この脚本家、これまでの信長・秀吉・家康のワンパターンから脱却したいのか。その心意気は認めますが、オリジナルでかえってくだらなくなるのだったら、こんな1話「義元が討たれました」で終わらせなさいっちゅうの。この脚本家を調べてみたら僕と同年代の若さで、妙に『三国志』のエピソードにこだわるのはそのせいかもしれません。各歴史家の先生方が怒るのも無理ないでしょう。あり得ないことですが、もし僕がシナリオを書くとしたら監修者なり時代考証家などに意見をうかがいます。なんかこの脚本家、独断でくだらないシナリオをつくってしまったような気がします。周囲の意見をきかないのは今川義元でなく、あなたでしょうに。
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史跡紀行では愛知県名古屋市・豊明市・豊川市を紹介。桶狭間古戦場は名古屋市緑区と豊明市の2つの説があり、どちらで義元が討たれたのか結論は出ていません。大体は中京競馬場前に近い桶狭間古戦場のほうが紹介されるようですが。高徳院にあった桶狭間古戦場資料館は2004年に閉館されてしまい、市で受け継ごうとしないやる気のなさには呆れます。今回の桶狭間古戦場は豊明(写真左)と名古屋(写真右)の両方行きましたので写真はUPできますが、スタンプがありません。JR牛久保駅は下車したのですが、大聖寺はいけませんでした。牛久保駅には勘助のスタンプができたようです。
投稿者:管理人
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