小諸城址「懐古園」と中棚荘の今昔1
- 2009.01.20
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長野県小諸市は古来浅間山南西麓の裾野一帯が牧場で、大室・小室の郷と呼ばれていた。千曲川の清流と共に、山水の風光に恵まれた詩情豊かな高原都市です。平安末期から鎌倉時代にかけて、『源平盛衰記』や『平家物語』にも登場する、小室太郎光兼(木曾義仲の武将)が館を築いたのが起こりとされます。後に室が訛って諸、小諸の郷になったとも言われます。時代を経て城としての役割を終え、明治13年(1881)に「懐古園」と呼ぶようになり、現在に至っています。
この小諸を舞台に文豪「島崎藤村」が28歳から7年間、小諸義塾の教師としてこの地で過ごし活躍したのです。藤村の「千曲川旅情のうた」の一節を紹介します。
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子かなしむ~略~千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む
この小諸なる古城が懐古園で、岸近き宿が中棚荘なのです。
●懐古園の新旧パンフレット
昔のパンフレットは島崎藤村の写真が使われています。この自分の写真入りパンフレットに、大正11年9月、田中君に呈すと、自筆のサインをして送ったものです。田中君とは「夜明け前」の原稿校正を頼んだ、田中宇一郎ではないかと思います(筆者の想像)。
何故ならば夜明け前は大正の終りから昭和の初めにかけて、狂死した父の生涯を描いた大作と言われ、時期が符合します。もう一人の田中君とは、田中昭邦という人物ですが、君こそ遠音に響く、という藤村詩を作曲した人で時代的にも考え難いからです。いずれにしろ貴重なパンフレットで現在では使われておりません。
もう一つ、二色刷りの質素なパンフレット(中棚鉱泉旅館裏面)も貴重な一品です。懐古園(城址)の案内料(今のガイド)は一人につき100円、藤村記念舘、徴古舘の入舘料は大人各20円となっています。館が舘という字になっているのも時代を感じさせます。この価格から大正のものではなく戦後間もなくのものと考えられます。
現在では懐古園入園時に共通券500円を買うと全て入館できるようになっています。
園内の紅葉と648mの四等三角点などを紹介します。
パート2(1月22日につづく)
投稿者:菊地正浩
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