水上バスで東京散歩6

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●災害は忘れた頃やってくる
東京深川の木場に州﨑神社がある。この神社の境内に波除碑・津波警告の碑があることは今の人にあまり知られていない。5代将軍綱吉の生母桂昌院の守り神として建立され、弥生(3月)の潮時には海岸で蛤がとれた絶景地だったという。
寛政3年(1791)9月4日、深川の州﨑一帯に襲来した高潮によって附近の家屋がことごとく流され、多数の死者、行方不明者が出た。火事と喧嘩は江戸の華と言われ、明暦の振袖火事(1657年)に代表されるごとく、大火は定期的に発生、その対策には色々と手がうたれていた。しかし、海からの高潮、津波対策は手薄であった。
幕府はこの災害を重視して、州﨑弁天社から西のあたり一帯の東西285間(約518m)、南北30余間(約54m)、総坪数5467余坪(18000㎡)を買い上げ空地とし、これより海側に人が住むことを禁じた。そして空地の東北地点(州﨑神社)と西南地点(平久橋の袂)に波除碑を建てた。寛政6年(1794)に完成した石碑は、砂岩で脆く関東大震災と東京大空襲での損傷が著しいが現存している。現在この附近は開発され何事もなかったかのようにビルやマンションも建っている。しかし、地球温暖化による東京湾の海面上昇が進み、満潮時の台風による高潮、大地震による津波の襲来による被害で、折角の波除碑による教訓が生かされなかったというようなことにならないよう祈りたい。
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●おわりに
今回のクル-ジングでも明らかなように、隅田川、東京湾沿岸、旧江戸下町が変貌し熱くなろうとしている。ちなみに、東京23区の総面積は621.4k㎡(平成16年)であるが、干潮面以下の低地124.3k㎡(20%)、満潮面以下の低地31.5k㎡(5.1%)、満潮面以上ではあるが高潮危険地254.6k㎡(41%)、合計410.4k㎡(66%)であり、実にこの大半が東京湾岸、隅田川東部地区だということを忘れてはならない。昭和22年(1947)のカスリン台風、昭和24年(1949)のキティ台風、昭和33年(1958)の狩野川台風による浸水被害を忘れてはいけない。2010年には外国人観光客1千万人誘致をめざす。今秋には観光庁も新設される。世界の観光地日本、その玄関口の東京、隅田川、東京湾岸、下町が賑やかになっていく。災害は忘れた頃やってくるという、万全を期した防災対策と普段の備え、関心を怠ってはならない。
おしまい
投稿者:菊地正浩
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