『篤姫』第10回「御台所への決心」

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「お姫様教育」ならぬ将軍正室の「御台所教育」としてエスカレートしていきます。箸の使い方から三味線、鼓打ちなど相変わらず大変ですな。篤姫はまたも目に落書きしていますし。さすがの幾島も覚悟のない篤姫に困り果て、斉彬に真相を話すべきと云っております。
 ついに篤姫に真相を打ち明けると、篤姫は茫然自失。眠れない夜についに城から逃亡まで企ててしまいます。そこで斉彬に真相を問い質し、ようやく御台所になることを決意。「己の意志で江戸へ赴き、国を守りたい」と云っています。しかし、幕政破綻の一因として大奥の奢侈があったのではないですかな。そのあたりは江戸に行ったあとの篤姫を見ないと分かりませんが。
 そして相変わらず家祥の馬鹿殿ぶり。折しも黒船来航でてんやわんやで、老中の阿部雅弘は大名・幕臣から庶民にまで対策を求めたようです。家祥が採用した「酒でもてなして、火薬庫の所在を調べ、相手が眠ったところに火を放てばよい」という案のもとは、新吉原の遊女屋主人藤吉の献策がもとになっています。たしかこの案が成功した暁には「吉原一廓の門の通用を許してほしい」というものだったのですが……。あと庭でアヒルを追いかけてずっこける家祥。この話は創作のようですが。今回、初耳だったのは海防掛の深谷盛房(野村信次)。生年は1767年で没年は不詳だそうですが、一応、老年のため致仕する嘉永7年(1854)までは存在が確認できます。しかし、時代設定からみると当時87歳! 野村信次さん(63)でも若すぎたようです。
 
 史跡紀行では徳川斉昭の故郷・茨城県水戸市を紹介しました。何たる奇遇。実は昨日、梅の花を見に偕楽園へ行ってきたばかりなのです。今年は寒かったせいもあってか。梅の花はまだ八分咲きでしたが、ものすごい人だかりでした。偕楽園の徳川斉昭と七郎麿(のちの15代将軍慶喜)の像も見たばかり。今回はその偕楽園と水戸駅のスタンプをUPします。
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≪追伸≫
桐野先生が15日にようやく再放送で観れたそうです。相互リンクということで。先生のブログもどうぞ。
投稿者:管理人
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