『篤姫』第22回「将軍の秘密」

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はい、ほぼ週遅れでUPします。当日は総会があってこちらの報告を先にUPしまして、その後のハードスケジュールにて更新が遅れてしまいましたm( )m。
 今回の注目どころは公方(家定)は本当にうつけかどうか、そして英明だが自信過剰の一橋慶喜の二者がメイン。一橋慶喜に関しては桐野先生の『膏肓記』が詳しいです。その間に備後福山藩主の老中阿部正弘(草刈正雄)が亡くなってしまいました。あまりにもあっけない死でしたね。
 さて、今回の「将軍の秘密」ということで、うつけのふりをしていたが実は英明だったということになり、それはあまりにも過大評価ではと物議を醸しています。たしかにこれでは信長ですね。それにしても家定公がここまで国政を考えているなどとはちょっとびっくりの展開でした。
 家定曰く「阿部が挙国一致の政事をしていたので、幕政は阿部に任せておけばよかった。将軍はお飾りでよかったが、阿部が亡くなったのでうつけのままでおられなくなった」などと申していますが、後継には自信過剰の慶喜は好かぬ様子です。でも、そのうつけの理由が馬鹿らしい。家慶の子で唯一生き残ったのは家定だけで、他の子は早世。ここには大奥の陰謀で毒をもられてみな亡くなったとされています。そして家定も毒をもられ、もう身体がボロボロといっていますが、随分活発に城内を駆け回る姿からそれはないかと。それにもし毒をもられているのなら脳には影響は出ていないのでしょうか。一説には脳性麻痺といわれているのに……。
「わしを残したところで何もならない。天に分からせてやりたかったのじゃ」
と駄々こねる公方様。信長公の不良時代は少年期のことですが、30過ぎたおっさんがやることですか!
 まあ、若くして未亡人となってしまう篤姫様が可哀想だからこういう設定にしたのでしょう。母性愛で救おうとする篤姫に対し、「わしは誰も信じぬ」という家定。さて二人の夫婦愛はどうなりますことやら。
 史跡紀行では阿部正弘の故郷、備後福山(広島県福山市)の福山城を紹介していました。ここは以前、宮本武蔵の取材の際、原稿を書いたことはあるのですが、予算がとれず現地取材はできませんでした。ただ福山駅のスタンプはありますのでそれをUPしたいと思います。福山には競馬場もあるので一度は行ってみたいものですが、西日本エリアは東京からだと動きづらいです。せめて名古屋・京都・大阪ぐらいに拠点がないと。
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投稿者:管理人
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