大相撲よもやま話2

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大相撲発祥地2
 両国回向院は現在の国技館とJR両国駅をはさんだところにあります(旅じゃCom2008.4.17参照)。境内には鼠小僧次郎吉の墓(写真左)や歴史ある墓碑があります。明和5年(1768)9月、この境内で初めて興行が行われました。もちろん青空興行です。天保4年(1833)10月からは掛小屋となり、相撲の定番所として年2度興行されるようになり賑わうようになりました。明治になってからも相撲は回向院境内で続けられ、明治17年(1884)には天覧相撲が行われ、相撲人気に加えて名力士が生まれるようになりました。明治42年(1909)になり、回向院境内の北に国技館が竣工し、天候に関係なく興行でき相撲の大衆化が一段と進みました。
 境内にある相撲関係石碑群「力塚」(写真右)は、昭和11年(1936)に歴代の相撲年寄慰霊のため建立されたものです。このとき、周囲に玉垣を巡らせ、大正5年(1916)に建てられた角力記(すもうき)と法界万霊塔もこのなかに移動されました。
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名所江戸百景に描かれた両国橋と現在の橋
 国技館は大正12年(1923)9月1日の関東大震災と昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲によって焼失しました。筆者は赤々と燃え盛り、窓という窓から炎を噴出す国技館を真横に眺めながら、回向院の境内を必死で走り抜け、両国橋を渡り逃げて助かりました。
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 焼けた国技館は戦後修復されてGHQに接収(写真上)されましたが、のちに日本大学へ払い下げられ、同大学の講堂(写真下)として使われました。現在はすっかり取り壊されて大きなマンションとなっております。大相撲の興行は、昭和29年(1954)9月に浅草橋の蔵前に蔵前国技館が建ち再開されました。昭和60年(1985)1月になり、現在の両国国技館が竣工しました。相撲自体は新国技館に移りましたが、回向院境内は相撲発祥の地の一つとして、また力塚を中心としたこの一画は相撲の歴史76年が刻まれ、相撲の町両国の姿を象徴しています。
パート3(明日)につづく
投稿者:菊地正浩
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