地図記号(温泉マーク)の変遷・磯部温泉1

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~温泉っ子必見~地図記号(温泉マーク)の変遷
 国土地理院が制定する2万5千分の1地形図の地図記号は、全部で161種類ある。なかでも温泉は湯つぼと湯けむりとし、湯けむりはS字曲線3本である。しかし、どこの地形図を見てもほとんどS字曲線ではなく、直線3本としか見えない。一体これはどういうことなのであろうか?

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 地形図は明治維新後に本格的な測量を導入して作られ始めた。筆者が調べる限り、地図記号は明治11年(1878)の測絵図譜、明治19年(1886)の測図記号発行によると思われる。明治22年(1889)になって温泉ではなく鉱泉で登場し、記号はS字曲線である。他におたまじゃくしのような湧泉、湯つぼに噴水が出ているような噴泉なども登場する。
 明治27年(1894)、陸地測量部発行の伊豫国温泉郡という地図では、松山道後湯之町のところに楕円形の湯つぼの中から、湯けむりが3本まつ毛のように出ている描き方がされている。明治28年式地形図図式には帽子に3本毛が生えているようである。ちなみにこのときの郵便局は横書き封筒の裏側を記号としており、現在の○に〒字とは違う。他にも城郭・古城、神社、墓地なども現在とは大きく違う。(手書きの記号ご参照)明治後半から大正を経て昭和となり、さらに戦後は陸地測量部解体、地理調査所の発足となる。その間は鉱泉、鉱泉・温泉、温(鉱)泉、温泉と表示も変化、記号も湯けむりがS字曲線、Z字曲線、直線などと変化し、現在はS字曲線に落ち着いた。

 なぜ、湯けむりが直線で描かれるようになってしまったのか? それは地形図の製図方法が、ペン製図からスクライブ法に変わり、曲線が描きにくくなったからと云われる。その後、コンピューター化が進み描きやすくなったので、明治の頃に描いた温泉らしいS字曲線に戻したのである。平成14年(2002)の浦和・岩槻にS字曲線が登場するが、その他ではめったに見ることができない。だが良く探せばあるものである、平成19年(2007)1月発行の与那国島である。立派なS字曲線で温泉・鉱泉となっているが、地形図の中を探してもそのマークは見つからない、与那国島には温泉が無いのか? 残念。その他の地形図を見る限りどう見ても直線3本である。要するに、国土地理院の地形図の改定作業が進まない限り、S字曲線にならないのである。民間の地図やその他の出版物では、温泉マークはS字曲線が常識である。
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我が国最古の温泉記号
 群馬県立博物館所蔵の「万治四年(1661)辛丑二月二十六日絵図記」(わが国最古の温泉記号の描かれた村絵図)がある。この絵図に基づいて群馬県安中市磯部温泉の湯元に記念碑がある。無料の足湯に入りながら見られるのだが、筆者には湯けむりがS字曲線や直線でもなく、長いZ字曲線に見える。となればZ字曲線に落ち着けば良かったのではないだろうか。
 温泉が良ければ地図記号などどうでも良いなどとお叱りを受けそうであるが、古地図研究をする立場からすれば、一言変遷を記述することで、温泉フアンに知って欲しいと思うのである。
 余談だが、S字とZ字どちらが妥当なのか。あくまでも筆者の推測であるが、手書きの時代に右利きはS字、左利きはZ字を描いたのであろう。理由は料理屋に行くと割り箸が置いてある。決まって半分ほどの袋に入っている。その切り端はほとんどが右側である。めったにないが良く観察していると左側の時がある。調べると何のことはない、作った人が左利きだからで極めて単純なことである。これと同じだと考えるのは如何なものか、S字とZ字の違いが判る方のご教授を賜りたい。
4月4日につづく
投稿者:菊地正浩
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