新幹線を運転する10

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ひかり5号は、超満席の重い車両ながら雨の関ヶ原を順調に登りきり、米原を5分遅れで通過した。米原で田村氏と運転を交代。同級生の運転談義に花を咲かせていると、ガラガラという台車を引く音とともに転室扉がノックされた。
「来たよ! 来た、お待たせだね」
菊池氏がすばやく扉に向かい、窓のカーテンを上げると、車内販売の売り子が立つていた。
「コーヒーいかがですか?」
ドリンクサービスにやってきた。
「ありがとう、ホット3つください。あなた笑顔可愛いね」
菊池氏が愛想言葉でコーヒーをもらうと、再び運転台椅子に落ちついた。眠気覚ましのドリンクでホッとするなか、ひかりは、近江平野を走る。
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雨も上がり雲間から明るい日差しが照らしたとき、黄色塗装の電気試験車がすれ違って行った。
「電気試験車の仕業は夜遅いから大変だよね」
「そうだよ、静まりかえった夜中の線路を走るし、おまけに眠気も重なるしね!」
電気試験車は、営業運転の終わった後、専用のパンタグラフを使って架線の状態を検査するために走らせる電車で、この運転仕業は、勤務時間などそれなりに結構ハードな仕事なのです(今は定期的に昼間運転されています)。
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試験車の勤務話に盛り上がるなか、ひかりは右手に琵琶湖を眺めながら走り、そして音羽山、東山と二つのトンネルを越え、2分遅れで京都に到着。京都からは約15分、ひかり5号は遅れを取り戻し、新大阪に定刻どうりに到着をした。新大阪からは大阪運転所の運転士と交代。私たちは、新大阪で3時間半程休憩をとり、トンボがえりで、再びひかり号を運転して夕闇の東京へ戻っていったのです。
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あれから30余年が過ぎました。新幹線車両も、300系・500系・700系そして、N700系と高性能電車が登場しています。運転士が自身の感性で動かしたマニュアル仕様の0系と違い、最新N700系は、運転仕業の個人登録をしたカードと暗証番号による運転室入室、操作、そして、タッチセンサー方式で、モニター画面の指示に従いタッチしながら、運転準備等、機器操作をしていく。ATC信号も、無段階に電車そのものが感知して、ブレーキ調整。走行中の車両故障も、モニター画面を見ながら、必要最少限に故障箇所をカットしていく、まさに一人管理運転の世界です。車両も、支える台車の空気バネの調整で、カーブも速度を落とさないで走ることができ、電車もますますスピード化され、N700系のぞみは2時間半を5分短縮で運転する、東京~新大阪の運転の旅。都市の風景は変貌したが、沿線のローカル風景は今も昔とあまり変わりません。変わったのは0系電車とその時代-時間を楽しみながら、運転の旅をしたあの頃が、0系とその運転に携さわった私達同期生や先輩方の、遠く国鉄時代の思い出の語り草になっているのです。
0系アーカイブ新幹線東京~新大阪運転の旅おわり。
投稿者:にわあつし
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