『風林火山』第39回「川中島!龍虎激突」

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はい、いよいよ始まりましたね。第一次川中島合戦。
第4次以外はほとんど注目されていない川中島合戦ですので、今回は前哨戦となる三度の戦いは、それ相応の内容に膨らみをもたせてくれることでしょう。
ところでこの第一次川中島合戦は別名布施八幡の戦いといいますが、ウチにある資料をあさってもその全容が不明なのです。一般には荒砥城を落とし、青柳城まで攻めたとされていますが、今回の戦いではぐぐっと中入りして、深志(松本)城に近い刈谷原城まで攻めています。青柳城からさらに峠をひとつ越えるわけで、晴信を誘い出すとはいえ、ここまでしますか景虎さん。まあ、戦国最強の部隊ですから包囲されても、その囲みを破ることくらいはたやすいでしょうが。
かわい先生のブログ『豊泉堂雑記』の二番煎じになりますが、そういう意味では今回は、勘助と架空の軍師宇佐美定満の駆け引きのうまさが巧みに描かれていました。場所は違えども互いに地図を睨んでコマを動かすのは、将棋の試合みたいで。
この戦いで諸角虎定が自分だけ長生きしてしまったことを恥じ、命に背いて刈谷原城に籠城してしまうシーン。討たれてしまうのかと思いましたが、勘助が夜襲を進言したため、長尾勢は退却しことなきを得ます。なかなか味のある武田家臣団の結束力がPRできてよかったと思います。
結局、晴信と景虎は川ごしの対面で終わり、無事、第一次合戦を終えて、次回の三国同盟に入ります。
史跡紀行では長野市の善光寺を紹介していました。信玄・謙信ともに信仰の厚い善光寺をめぐって争ったため、寺は荒廃してしまい、本尊は信玄によって甲府に移され、甲斐善光寺が建立されています。その後、本尊は信長によって岐阜、秀吉によって京都、家康によって尾張に移されて、元の善光寺に戻ったそうですが、善光寺も長野県飯田市には元善光寺、岐阜県関市には関善光寺などがあって、全国には善光寺を名乗るお寺が多そうです。本家の善光寺は中学以来行ったことがないので、長野駅のスタンプだけでご勘弁。このスタンプも印影がきれいに写っていないので押し直ししてこなければなりませんが。
それにしても長野駅は乗り換えなどで結構下車しているのですが、肝心の善光寺はずっと行けずじまい。あの寺院風の長野駅舎も好きだったのですが、冬季オリンピックと長野新幹線で立替されてしまい台無しになってしまいました。高架化でホームの駅弁屋や立ち食いそば屋などをすべて排除してしまった隣県の岐阜駅よりかはマシですが。
ところでJR信越本線長野~直江津間は、長野新幹線のため在来線特急あさまに使っていた183・189系車両(写真)が大量に余剰となったため、普通列車だけど特急の車両でリッチな旅が楽しめますぜ旦那!
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投稿者:管理人
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