『篤姫』第6回「女の道」

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薩摩藩主斉彬が養女にと申し出たことで、ぽか~んとしている於一。なぜ気に入られたのか分からない様子です。肝心の尚五郎のほうは婚約を反古にされ嘆き悲しみ、西郷吉之助の祝言にも泥酔。しかし、於一が迷っていると同時に養育係の菊本(佐々木すみ江)の様子もおかしくなっています。
於一が養女に選ばれた理由を尋ねに行く際に菊本は「女の道は一本道。道を引き返すは恥」と説きます。しかし、小説の中の話ですが、菊本の自害の理由はわけが分かりません。ドラマも原作に忠実に再現しているのですが、「本家の養女となる於一を身分の低い自分が育てた事実を消し去る」というのが、理解し難いのです。そんな華やかな舞台に立とうとするところで、自害すれば於一が悲しむばかりか、ノイローゼになってしまいます。どうもこのあたりは作者の史観で描いているため言及する気になれません。
斉彬が於一を養女に選んだ理由のひとつで「母に似ている」といいますが、斉彬の母は周子(1792~1824)は弥姫(いよひめ)といい、鳥取藩主・池田治道の娘です。嫁入り道具に史書を大量に持ち込んだ話は史実のようです。しかし、斉興の寵愛は側室の由羅に移り、弥姫も早世したため、のちにお由羅騒動の悲劇を生むのです。
あとジョン万次郎が国防のため、沿岸に砲台を築き、的確なビジョンを語っていました。これはなかなかかっこいいです。万次郎は世界一栄えている町をイギリスのロンドン、清の北京、日本の江戸と語っていますが、当時の江戸は人口も100万ほどいたのに、日本で絶滅したカワウソと共存できたすばらしき平和と環境保全のモデル都市だったのです。
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史跡紀行ではまた鹿児島市に戻り、西郷・大久保の生まれ育った鍛冶屋町と高見橋の大久保利通像や城山麓の西郷隆盛像を紹介していました。西郷隆盛像は第2回で紹介した小松帯刀像からほど近いところにありますが、身長5.257mもあってとにかく巨大です。大久保利通の像は鍛冶屋町に近い甲突川の高見橋の近くにあります。ともに像のスタンプもありますのでUPしますが、西郷のスタンプは鹿児島県立博物館、大久保のスタンプはJR鹿児島中央駅の鹿児島市観光案内所にあります。銅像のある場所にスタンプがあるわけではないので、押したい方は注意してください。
さて、今週は他の会員からの投稿が殺到しており、トップにUPされる時間は短いのですが、ぜひとも愛読よろしくお願いします。明日からは菊地正浩会員のルポを6日連続でUPしますので、お楽しみに。
投稿者:管理人
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