隅田川両岸にある二つの隅田公園 by 菊地 正浩
- 2013.09.09
- 地歴と旅(KK)

隅田川は江戸時代から墨提の桜、夏の花火などで知られ、多くの文人墨客を生み歴史を刻んできた。川の真ん中を区界にして、荒川、台東、中央、北区、足立、江東、墨田の7区に分かれている。真ん中に杭を打ち込んでいるわけでもない。
明暦の大火(1657・通称振袖火事)後に両国橋が架かり開発が進んだ。昭和15年の向島区と本所区の人口は、合計48万人だったが、昭和20年3月10日の東京大空襲で潰滅し、僅か7万7千人余りになった。昭和22年、両地区が合併して墨田区が誕生した。
●東京大空襲の爪痕と新しい景色「東京スカイツリー」
東京大空襲では多くの犠牲者が出たが、隅田川の言問橋辺りも大惨事となった。亡くなられた方々の慰霊碑が台東区側にある。その脇に、当時の言問橋の縁石が置かれている。黒ずんだ部分は亡くなった人々の痛ましい「痕」である。当時のことを知らずに多くの人が渡り、前方の「東京スカイツリー」を見ては記念撮影をしている。東京大空襲の事を決して忘れてはいけないことだと思うのだが、これも時代の流れなのだろうか。





●お互いに隅田公園を名乗る
公園は言問橋の架かる両岸にある。台東区は花川戸公園とか浅草公園、墨田区は墨田公園と呼んでもよさそうだが、共に隅田公園と名乗っている。隅田川とともに時代を育んできたという歴史があり、こだわるのも無理からぬものがあろう。
芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」 満開の桜堤を歩いていると、ゴーンという鐘の音が聞こえた。ああ、あれは上野の寛永寺だろうか、それとも浅草の浅草寺だろうかという情景が伝わってくる。

墨田区には堀辰雄の旧居跡や、堀辰雄が「メランコリックな目ざしをした牛」がいると評した撫牛がある牛嶋神社がある。また富田木歩終焉の地、荻野吟子の旧居跡など文学的史蹟もある。
台東区には隅田川の情景を歌った滝廉太郎作曲「花」 ” 春のうららの隅田川 – 略 – ” の歌碑、正岡子規の歌碑などがある。


( 2013年9月9日 寄稿 )
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