『篤姫』第26回「嵐の建白書」

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 今回の大河ドラマ、苦戦する幕末では意外に検討していますね。ドラマの作り方が他に比べて丁寧だからでしょうか? 最初、宮﨑あおいの首をみたときは、髪結いをするとあまりの細さに頭を撫でると首がもげてしまうのではないかと心配でしたが、見ているうちに違和感もなくなりました。まさかブリッジをして首を鍛えたわけではないと思いますが。あおいファンの方ごめんなさい。
 離婚が当たり前の世の中だからか、コタツに入ってポルトガルの菓子を食す家定と篤姫の夫婦が仲睦まじく見えます。出てきたあの菓子って一体何だったのでしょうか。今回は家定の解説がなかったので気になります。僕も今回の大河ドラマ見るまでは篤姫の生涯などほとんど知らなかったものですが、斉彬の密命で将軍慶喜を推挙するように将軍家へ輿入れしたのですが、養父とはいえそのやり方に疑問を感じるようになった篤姫。政略結婚とはいえ、「親(養父)の道具ではない生き方」をうまく描いています。
 さらに斉彬は篤姫だけは将軍を動かせないことに痺れを切らし、建白書を提出。これで火に油を注ぐ結果となった大奥。本寿院および滝山は井伊直弼に紀州慶福を強く推すようすすめます。
 一方、尚五郎はようやく「帯刀清廉」と改名。斉彬は「古い幕府を壊すための改革。御台は守る」といいながら、建白書を提出し御台の立場を危うくしてしまう。この仕打ちに対し、帯刀は御台を思い「苦しゅうございます」と涙。手段のためなら方法を選ばない非情な殿様斉彬に対し、下級武士や相手の立場を思いやり、のちに「名宰相」と呼ばれるようになった帯刀。この演出は感心させられました。改名届に関しては小松帯刀研究の第一人者・桐野先生のブログもどうぞ。
 今回の演出のうまさはやはり思想が交錯する幕末の背景をうまく描いているところでしょうか。時代の流れで開国を迫られている時に家定がもらした「馬鹿ばかりじゃからのう」はいいセリフ。当時の倒幕派は攘夷一点ばり。とくに長州は外国人を襲撃することしか知らないテロリストたちばかりで、下関砲台襲撃までは相手の実力を読めなかったのですから。
 この幕末の善戦に気をよくしたか。再来年2010年の大河は『龍馬伝』に決まりました。龍馬単独では1968年の『竜馬がゆく』以来の42年ぶりですが、当時の作品の平均視聴率は14.5%というひどさで、94年の『花の乱』に次ぐワースト2位。「低視聴率=悪い作品」というわけではないですが、リベンジを期待したいところですね。
 史跡紀行では今回初登場の月照の清水寺成就院や清閑寺、京都御所の近衛亭跡を紹介していました。清水寺は小学校・高校の時に行ったことがあるのですが、それ以来は行っておらず、自分で撮影した写真はありません。有名観光地ですからスタンプもあると思いますが。清水寺のスタンプがないので、新しくなったJR京都駅のスタンプをUPします。
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