手漉き和紙の里(14)~信州松崎紙~  by 菊地 正浩

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高瀬川と北アルプス 旧千国街道(塩の道)入口
 大町市松崎は長野県北西部、松本盆地北端に位置する高瀬川と鹿島川の扇状地で、北アルプスの眺望は抜群、西部は飛騨山脈の山岳地帯である。市名は、千国街道(糸魚川街道、塩の道)の宿場町中心地で、本町と中町の総称を大町と呼んだ。古くから塩の道として、また大町温泉郷や黒部渓谷の入口としても栄えてきた。
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青木湖畔の桜と北アルプス 佐野坂中央分水界からの北アルプス
 昭和29年(1954)大町と平、常盤、社(やしろ)の3村が合併。2006年平成の大合併で八坂村と美麻(みあさ)村を加え、県下最大の市となった。中世鎌倉時代の仁科(にしな)氏の館跡などがあり、仁科の里とも呼ばれる。木崎湖、中綱(なかつな)湖、青木湖は仁科3湖と云われ断層湖である。青木湖北岸の佐野坂は、内陸型(雨の少ない)と裏日本型(北陸の多雨型)気候の境目で、佐野坂峠は中央分水界である。 
●二つの松崎紙
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和紙の里松崎からの北アルプス 漉き場風景
 松崎紙の歴史は古く、長久3年(1042)に仁科神明宮のお札紙を作ったのが始まりとされる。その後、農家の冬季副業として手漉き和紙が発達した。原料は主に楮で、ネリは黄蜀葵(とろろあおい)であるが、南部を流れる高瀬川の清流と、高い紙漉き技術によっての和紙は全国的に知られるようになった。しかし、松崎紙には二つの系統があったことはあまり知られていない。一つは北アルプスを発源とする高瀬川の清流で漉いた和紙。もう一つは東山低山帯、仁科3湖と鹿島川などを支流とする農具川の清流で漉いた和紙である。
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漉き場風景と製品
 なぜ、同じ松崎なのに違った和紙となるのか? 高瀬川は北アルプスの雪解け水で和紙を漉くのにこの上ない清流である。農具川とて同じではないか、と思うのであるが、農具川の方は鉄分の含有量が多いため、漉いた紙が黒っぽくなるのである。だから農具川の和紙は一工夫も二工夫もしなければならなかったのである。
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漉き場風景と製品 天日干し
 現在、高瀬川系松崎紙は残念ながら絶えてしまった。しかし、農具川系和紙は更に工夫を凝らし、信州松崎和紙として伝統を守っている。ここでの和紙作りは他所にはない苦労もある。冬季は極寒のため水が凍る、しかし黄蜀葵は腐り難いという利点もある。風の無い穏やかな春の日差しを受け、天日干しされる和紙の風景は何とも云えない長閑さがある。
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信州松崎和紙工業
 幸い紙漉き技術の後継者も育ち、親子で伝統を守り、信州松崎和紙工業㈲を経営している。ここで漉かれた和紙は様々な工夫を凝らし、製品化され大町市周辺のみならず全国に出荷されている。もちろん白い障子紙や帳簿用紙のようなものではない。伝承された伝統の技法に独特の特殊処理を施し、色々な木の葉を漉き込んで持ち味を出している。どうか将来にわたって日本の伝統産業を守り、伝承していって欲しいと思う。

( 2009年7月14日 寄稿 )