重要文化財「日本銀行本店(旧館本館)」2

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●創業と初代総裁
 日本銀行条例が制定され、同年10月10日に営業を開始した。場所は東京日本橋区北新堀町21番地、旧北海道開拓使出張所の建物を店舗とした。隅田川の永代橋、そこに注ぐ日本橋川の豊海橋のところ(写真左)に位置していた。初代総裁は吉原重俊(鹿児島藩士の子で松方の郷党の後輩)で、38歳という壮年で就任、43歳の若き現職のまま病に倒れ、惜しまれて逝去した。明治16年(1883)4月28日の開業式当日、周辺道路両側は数千の提灯が掲げられ、永代橋にも電燈がとりつけられた。
 会場内は幔幕、提灯、万国旗、草花などで飾られ、陸海軍による吹奏、まるで鹿鳴館を思わせるようであった。式典や晩餐会には松方大蔵卿、吉原総裁をはじめ、皇族、大臣、参議、外国公使など内外名士による参列者数千、夜の12時まで繰り広げられた。夜空を飾る幾百幾千の提灯やランプと電燈、隅田川での仕掛花火は日本橋っ子の度肝を抜いたといわれる。現在この地には、記念碑(写真右)が建てられて当時を偲んでひそかにたたずんでいる。(参考文献『日本銀行八十年史』)
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●本店移転
 明治29年(1896)3月22日、3代目川田総裁のとき、日本橋区本町常盤橋前に移転した。移転地には、金融経済の中心地として日本橋が選ばれ、なかでも江戸時代の金座跡地に決定した。金座とは、金貨の鋳造、鑑定、発行所で、江戸のほか駿府、佐渡、京都の4カ所にあった。各金座は江戸中期までに廃止または縮小されていたが、江戸座も明治2年(1869)、造幣局の設置で廃止された。ちなみに、日本橋を渡ると銀座で、銀貨の鋳造、発行所があった。現在は銀座という地名だけが残っているが、この金座、銀座辺りは金融、経済の中心地であり、両替商が軒を連ね貨幣に縁の深い土地である。三越の前身、越後屋呉服店、三井住友銀行の前身、三井両替店などは代表的といえる。
tokiwabashikarakkyuhonkan.jpg 常盤橋から見る旧本館
●重要文化財 旧本館
「にほん銀行」か、「にっぽん銀行」か、結論はどちらも正しい。しかし、日本銀行の人たちは皆、「にっぽん銀行」と言う。定かではないが、初代総裁吉原重俊が薩摩出身で、威勢がよく、「にっぽん銀行」と呼んでいたということらしい。いずれにしろ江戸時代の流行語に「いよ! にっぽんいち」という掛け声がある。芝居や歌舞伎でも聞かれるし、現在ではスポ-ツの応援で、「にっぽんチャチャチャ」などという声援が聞かれる。あらためて、堂々たる旧本館の建物を見てみよう。さすが、「にっぽんいち」だけのことはある。建築様式については冒頭記述したとおりである。
パート3につづく
投稿者:菊地正浩
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