『風林火山』第13回「招かれざる男」

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取材に出かけておりましてすっかり更新が遅れましたが、ビデオを見たのは明け方4時過ぎになっていました。
前回に引き続き猛将・原美濃守虎胤との対決です。しかし、勘助、実力では勝てないと悟り、策を弄して船上での対決を望みます。まさか『甲陽軍鑑』にも記された塚原卜伝の無手勝流をパクって、小島に置き去りにするのかと思えば違いました。しかも脚の不自由なはずの勘助が義経並みの八艘跳びならぬ大ジャンプをしているかと思えば、船底に穴をあけて原美濃守に戦わずして勝ってしまう。
その頃、晴信に二人目の男子・次郎(信親)が生まれますが、疱瘡にかかって失明。ちょうどその頃、勘助が三条夫人に出会いますが第一印象悪し。しかも「武田家に災いをもたらす」と晴信に語ります。まあ、歴史の史実として三条夫人の嫡子義信が自害したので、勘助の推した諏訪御料人(由布姫)の子四郎勝頼が武田家を継いで、結果的に武田氏は滅亡するわけですが、こんな40年先の結果を暗示するなんて三条夫人は予言者か細木数子ですか。第一、義信自害は勘助亡きあとの話ですし、そのあとの遺言で頭領代理なんて変な地位を与えて、家臣団の統率をとれなくしたのは晴信さん、あなたですよ。ここまでのちの歴史の結果を結びつけてしまうとちょっと気味悪いです。
一方、上野に逃れていた真田幸隆ですが、ここで「信長の野望嵐世記」で高評価されている長野業政登場。なんかイメージと違うな……。この年代では業政は50歳過ぎているわけですから。この長野業政が関東管領上杉家の支援でいよいよ佐久に侵攻するわけです。長野業政と勘助の軍略合戦が見られるとおもしろいのですが期待できそうもありません。諏訪頼重のほうは勝手に佐久に侵出しているし。またまた慌しい展開になってきました。
史跡紀行では、甲斐五山の法泉寺・能成寺・東光寺・長禅寺・円光院を紹介していました。実は先週の予告通り前日3月31日に下部温泉へ取材に行ったのですが、残念ながら甲府での滞在は1時間もなく、駅前の「甲州ほうとう小作」でほうとうを食したにとどまりました。写真はカレーほうとうです。ほうとうは作るのも、食べるのも時間がかかるので1時間くらいはみておきましょう。
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なお、今週末の4月6~8日が2007年度の「信玄公祭り」です。7日(土)には内野聖陽・市川亀治郎氏のトークショーも行われるそうですから、大河ファンは要チェックです。「青春18」もまだ使えますのでチャンス! 詳しくはhttp://www.yamanashi-kankou.jp/shingen/schedule.htmlへ。
投稿者:管理人
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