地歴と旅(KK)

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関東大震災の証拠が残る諸磯(もろいそ)隆起海岸
by 菊地 正浩

  • 2018.11.25

神奈川県三浦市三崎町諸磯は、1928年(昭和3年)9月1日、国指定天然記念物に指定された。穿孔(せんこう)貝(がい)の生息跡が昔の海岸線で、大地震の度に隆起してきたことが判る。 現在の波打ち際、一番下が1923年(大正12年)9月1日関東大震災で隆起した層。 二番目が1703年(元禄16年)12月31日(旧暦11月23日)、房総半島南方沖震源の元禄大地震。 三番目が818年(弘仁9年)の弘仁大地震。 最古のものは416年(允恭天皇5年)に発生した遠飛鳥宮付近で起きた地震によるものと地震学会が発表している。   諸磯隆起海岸   三浦半島の地層は三浦層、相模層、葉山層であるが […]

皇居守護の戦争遺跡を訪ねて ~近衛師団司令部庁舎(現東京国立近代美術館工芸館) と高射砲台跡~  by 菊池 正浩

  • 2017.06.13

  戦後70年、50年振りに皇居御文庫が公開された。御文庫とは天皇陛下が御住まいの防空壕、その老朽化した姿の映像が流された。 外務省外交資料館は戦後70年企画として、1945年(昭和20年)8月15日に玉音放送された「大東亜戦争終結の詔書」と9月2日、東京湾上の米国軍艦ミズーリー号で調印されたポツダム宣言受託の「降伏文書」の原本を公開した。 終戦に至るまで、8月9日と8月14日に御文庫で開催された御前会議では、本土決戦を主張する軍部の抵抗と同調する一部将校の暴走により、近衛師団長が暗殺されるなど、所謂「宮城事件」の舞台があった。   ●御文庫での御前会議~宮中・吹上御所の防 […]

東京を洪水から守る隅田川の源、「岩淵水門」巡検トラベル  by 菊地 正浩

  • 2017.03.31

  埼玉県は河川の占有面積が日本一で、県の全域を荒川水系が覆っている。 甲武信岳(甲斐・信濃・武蔵にまたがる2475m)を水源とし、最上流は「奥の二又」で真ノ沢の右側に最初の一滴の石碑がある。入川で赤谷沢と合流、入間川(蕨山を水源とする名栗川)などを合流した荒川は(旧荒川放水路)東京湾へ注ぐ。一方、荒川は岩淵水門から新河岸川と合流して隅田川となり東京湾へ注ぐ。 元は熊谷市久下から元荒川をへて綾瀬川と分流し利根川に合流していた。(利根川は三国峠にある三国山1830m、上州・武蔵・信州で峠は越後境、上州の利根郡を発源とする) 本来の利根川は南下して荒川や入間川などをあわせ、江戸湾に注いで […]

 「毛長川」巡検トラベル  ~ご神体は女性の長い髪の毛かそれとも?~  by 菊地 正浩

  • 2017.02.18

  新編武蔵風土寄稿によると、入間川は入間郡蕨山(1033m)、現在の飯能市名栗を発源とし、南東流して埼玉県大宮台地へと来る。この入間川本流を「毛長川」という。さいたま市南部から蕨市で東流、川口市鳩ヶ谷を流れ、草加市から綾瀬川と出会い、東京都足立区千住で隅田川(当時の利根川)と合流、石浜(浅草)を経て東京湾(当時の江戸湾)に至る。この間、約30kmで川幅が200mのところもあった。 毛長川とはアイヌ語で原野、荒野を流れる川の意とされ、鬼怒川は往古に毛野川と呼んだ。 毛無川(三重県津市、二毛作が出来ないほど氾濫した川)、毛無山、毛長山(ミヤンマーのメコン川水源チベット自治区)、水無川( […]

江戸・東京を支え・守った閘門(こうもん)(2)  by 菊地 正浩記

  • 2016.05.15

  治山・治水は国づくりの柱と言われてきた。徳川家康による江戸開府にはじまり、世界一の都市「首都東京」の繁栄に至るまで、水との戦いが続けられてきた。いや、現在も異常気象と思われる「線状降水」による河川の氾濫・洪水と戦っている。 江戸・東京を守り、船運の河港としても栄え、経済発展に寄与してきた日本の閘門。中でも関東の閘門なしには江戸・東京の発展はなかった。   ○扇橋閘門 1976年(昭和51年)、東京都江東区猿江1丁目5―18、荒川と隅田川に挟まれた墨田区、江東区、江戸川区にまたがる地域の水上交通。管理は東京都江東治水事務所。 江東区三角地帯を東西に流れる小名木川のほぼ中央 […]

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