和紙の里探訪4

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●高麗(こま)神社と高麗郷
 はるか二千年以上の古に、東アジアでいち早く国家を形成したとされる高句麗。隣国などの猛攻にも耐え、多くの文化、芸術を残して消えていった国。その国より渡来した王族、高麗王若光を祀る高麗神社。そこは武蔵国、高麗川の清流と緑豊かな土地であった。霊亀2年(716)5月16日、女帝の元正天皇のとき新設された高麗郡の中心地であった(『続日本紀』)。
 現在、高麗郡建部から1300年に当たる平成28年(2016)に向けて、色々と町興しの企画がされている。高麗王若光は東国の七国に住む高句麗人1799名の人々と共に移住し、高い技術でこの地を開拓、紙漉き技術も伝播したと言われる。このとき朝廷からは従五位下の位を与えられ、その後王の位を授かって大和朝廷の官人として仕えたのである。その遺徳を偲び作られた霊廟が高麗神社の始まりである。明治29年(1896)入間郡への併合により高麗郡の名は消えたが、高麗神社、高麗川、高麗峠、高麗本郷、西武秩父線高麗駅、JR八高線高麗川駅などゆかりの名前が残る高麗郷は健在である。高麗郷とは明治元年(1868)の郡制によると、現在の日高市、鶴ヶ島市の全域と飯能市、入間市、狭山市、川越市の一部にまたがる広大な地であった。
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●高麗神社をとりまく史跡と自然
 高麗神社の創建にあたった高麗氏は、平安末期から明治に至るまで34代にわたり修験者であった。現在の宮司は高麗家59代である。この神社には歴史を綴る宝物、文化財が数多く残されており、なかでも高麗家住宅は国指定重要文化財となっている。境内は穏やかで清浄なる神域で、豊かな緑の中季節ごとに花が咲き、訪れる人を魅了してやまない。政界や文化人など多くの名士が訪れ、参拝記念に手植えをした樹木を見ると歴史の重みを感じる。
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●高麗にも「雷門」がある
 雷門といえば浅草の浅草寺にある門にかけられている大提灯を思うであろう。しかし、高麗神社の至近にある、聖天院の門にも、なんと雷門と同じような大提灯がぶら下がっている。この聖天院は高麗王若光の霊廟がある。高麗神社と並び訪れて参拝、見学する人が絶えない。時を越えて古の遠い高句麗に想いをはせることができる。
パート5につづく
投稿者:菊地正浩
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