『篤姫』第17回「予期せぬ縁組」

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 安政2年(1855)の出来事として尚五郎が江戸へ上洛。西郷は篤姫婚礼の仕度品の調整でてんわやんわといったところでしょうか。篤姫と尚五郎の久々の対面も上洛して3カ月後で、この間に琉球にいた小松清猷が急死。尚五郎は急遽、故郷に帰って清猷の妹千賀と縁組して、小松家を継ぐことになります。しかし、清猷は29歳まで妻帯していなかったんですね。千賀も当時では珍しく晩婚ですし。
 尚五郎が故郷に帰る途中の10月2日に安政大地震が発生。死者は4000人とも1万人ともいわれますが、水戸藩では斉昭腹心の戸田忠太夫、藤田東湖が亡くなるという悲劇に見舞われます。もっとすごいのはこの年は11月4日、東海地方でM8.4、11月5日に南海地方でM8.4と三大地震が起こったほか、伊賀や飛越地方にも大規模な地震が発生しており、この地震の総死者数は1万をゆうに超えたでしょう。いや地震は本当に怖いです。阪神淡路大震災で都市機能が停止したように、東京も直下型地震がきたら壊滅しかねませんから……。
 あと話から脱線しますが、今回も何気なく家定クッキングのカステラ登場。斉彬に試食させていましたが、どうせならちゃんと焼き方からきちんとやってほしかったですね。
 史跡紀行では薩摩藩邸の芝屋敷と渋谷屋敷を紹介していました。桐野先生「さつま人国誌」によれば薩摩藩は江戸の桜田・芝・高輪・田町・白金・渋谷の6カ所に屋敷があったそうです。渋谷屋敷は嘉永5年(1852)に購入したのですが、芝・高輪が海岸に近いこともあって、異国との戦いに備えた避難用だったそうです。篤姫は芝屋敷にいたのですが、地震で倒壊したため渋谷屋敷に移ってきたのです。薩摩藩渋谷別邸跡は渋谷区郷土博物館の向かいにありますが、この郷土博物館にはスタンプがありません。なので今回は田町駅と渋谷駅のスタンプをUPします。渋谷のスタンプの金王八幡宮は源義朝の家臣渋谷金王丸を祀る神社で、渋谷の地名の由来にもなっています。このあたりには渋谷城が築かれたこともあって、義朝の側室であった常盤御前(義経の母)が植えたと伝わる常盤松がありました。渋谷別邸の碑はその常盤松を偲んで薩摩藩士によって建てられたのです。
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投稿者:管理人
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