手漉き和紙の里(16)~紙祖神(しそじん)川上御前を祀る岡太(おかもと)神社と越前和紙~  by 菊地 正浩

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越前かわだの湧水 式年大祭のポスター
 福井県越前国今立郡岡本村(旧今立町、現・越前市大滝町)は、県中部武生(たけふ)盆地南東部の山沿いの町である。旧町名は古代以来の郡名であった。昭和30年(1955)に粟田部(あわたべ)町と南中山村が合併して粟田部町となった。あわたべは男大迹皇子(おおとのおうじ)(26代継体天皇)の名に由来している。昭和31年(1956)粟田部町が今立町と改称し、その翌日に岡本村を編入した。南部地域は紙漉きの里五箇(新在家、定友、不老、岩本という集落)があり、それぞれに神社がある。町の中には5本の川が流れ合流し九頭竜(くずりゅう)川となって日本海へ流れる。 
●紙祖神岡太神社と大瀧神社(国の重要文化財)
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川上御前像 上宮奥の院から眼下に見える越前和紙の里
 1500年前頃、南部の五箇村を流れる岡本川の上流より美しい姫が現れて、貧農の村人達に紙漉きを教えたという伝説がある。1500年前といえばこの越前から出た継体天皇の時代である。村人達は「川上御前」と呼び、岡太神社に祀ったのである。二つの神社は権現山(標高565m)の頂にある上宮奥の院と麓にある下宮からなっている。下宮から上宮までは細くて急な山道(標高321m)を30分ほど登らなくてはならない。その奥は大瀧城跡である。式年大祭にはお下りといって、神輿を担いでご神体を迎えに行く。最終日にはお上りといって神輿を担いで登り還御する。筆者一人で登るのも喘ぎ喘ぎであるのに、神輿を担いで狭い山道を登り下りする大祭の行事も大変なものである。
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上宮奥の院 右端が川上御前を祀っている 上宮奥の院三殿 中央が本殿・排殿
 今年は39回目の式年大祭の年にあたり、古来より途絶えることなく継承されてきた。古式のままに継承されて1290年目の大祭になる(県の無形民俗文化財に指定)。大祭では紙祖神川上御前に扮する娘が、里の川上に出て衣を竿頭(かんとう)にかけ、紙漉きを伝授する様を演ずるという「紙能舞」が行なわれる。子どもたちは紙漉き唄を歌いながら紙神楽を演ずる。町をあげて紙漉き神事一色となるのである。大瀧神社は推古天皇時代(559~638)、大伴連大瀧(おおともむらじおおたき)の勧請(かんじょう)に始まり、養老3年(719)にここを訪れた泰澄大師によって、川上御前を守護神に、国常立尊(くにたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主神とする社を創建し、大瀧児権現(ちごごんげん)と称した別当寺大瀧寺を建立した。中世、児権現は織田信長によって灰燼に帰したが、丹羽長秀によって復興された。
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下宮の岡太神社・大瀧神社
 明治になって神仏分離令により大瀧神社と改称した。大正12年(1923)、大蔵省印刷局抄紙部(紙幣を作る所)に川上御前の分霊が奉祀された。ここに、紙業の総鎮守として全国に名を轟かせることとなったのである。正倉院の古文書にも、西暦730年の年号を記した越前和紙が残されている。
●歴史と美を支える越前和紙
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越前和紙の里 和紙の学習セット
 武家社会となった頃には、保存性が高く滑らかな「越前鳥の子紙」が公用紙となった。
室町時代になると、武家、公家ともに公用紙として「越前奉書」を使うようになった。このようにして朝廷、幕府、諸大名の御用紙に使われていったが、耐久性も高く高級浮世絵用紙として使われるようになり、色鮮やかな江戸文化を支えることになる。明治になると、紙幣や証書などにも使われるようになった。
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紙の文化博物館
 越前和紙は芸術家一人ひとりの注文によって、色々な用途の紙が漉かれる。横山大観などの日本画はもちろん、平山郁夫による「大唐西域壁画」はシルクロードを描いた、縦2.7m、横3.7mという大きなものである。大判に漉かれた越前和紙に描かれて薬師寺に奉納されている。原料は楮、三椏、雁皮を使うが、美術小間紙、美術用紙、生活用紙、創作工芸品用紙など用途に応じた手漉きを行っている。染色も墨流し、漉き込み、漉き出し、落し掛けなど様々な技術を駆使している。今や越前和紙は日本を代表する伝統文化として世界に冠たる地位を築き、訪れる人は後を絶たない。
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卯立の工芸館と三椏の植込み 工芸館内部
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パピルス館と体験コーナー
●伝統工芸の集積地、越前匠(たくみ)街道
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越前漆器伝統産業会館
 福井県の丹南地域(鯖江市、越前市、南越前市、越前町、池田町)は、越前漆器、越前和紙、越前打刃物、越前焼という伝統工芸の伝承地である。因みに越前焼は日本六古窯(越前焼、備前焼、常滑焼、丹波焼、信楽焼、瀬戸焼)の一つにあげられている。これらの一帯を越前匠街道といい、先人の技に触れる旅として観光振興に力を入れている。
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越前そばの里
 もちろん、若狭湾の海の幸、内陸部の山の幸は食材として豊富であるが、何といっても「そばの里」であろう。越前の温泉に浸かり、手打ちの越前そばを匠たちが作った越前打刃物で調理、越前焼と越前漆器と越前和紙によって飾られた膳、越前酒を漆盃で飲めばこれ以上の贅沢はないであろう。このように恵まれた環境のもとで伝統を守っている手漉き和紙の里は他に類を見ないといえよう。
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越前かわだ温泉の里

( 2009年7月25日 寄稿 )