『風林火山』第23回「河越夜戦」

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今回は関東管領山内上杉憲政・扇谷上杉朝定・古河公方足利晴氏の連合軍8万を、北条氏康8千の軍で破った有名な河越夜戦ですが、鉄砲のほうがメインになっていました。まず、今川義元が武田晴信に鉄砲を披露し、次いで北条氏康が援軍に加勢した山本勘助に鉄砲を見せています。
さて、第5回「駿河大乱」で福島越前守の嫡男彦十郎をのちの北条綱成と書いてしまいましたが、この綱成の父正成という人物は元今川家臣なのですが、大永元年(1521)に飯田河原の戦いで敗死とも、天文5年(1536)の花倉の乱で討たれたともいわれ、人物像が定まっていません。で、今回、彦十郎の兄として北条の姓を賜った北条綱成が別に出てきたことで、彦十郎は綱成の弟勝広の設定ということが明らかになりました。この勝広ものちに北条姓を賜り、「北条綱房」となります。
河越城を3千の兵で守る北条綱成は連合軍8万に包囲され、氏康は8千の兵で救援に赴きますが、敵の包囲網をかいくぐって城内に伝言する術がなく、間者として上杉連合軍にいる本間江州への使いで勘助が登場します。勘助はそのまま長野業政のもとにいる真田幸隆に接触し、武田家臣に迎え入れようとしますが失敗します。今回のテーマはこちらの伏線なのでしょう。
それにしても上杉憲政のバカ殿ぶりは見事で、史実では信玄の侵攻を6度にわたって撃退した智将長野業政もまったく出番がありません。で、肝心の河越夜戦のほうはあっけない終わり方、上杉朝定に至っては城門手前で降伏を待って陣取っているし……。この戦いで唯一の見せ場は「上州の武士として」とそのまま上杉軍にはせ参じ、北条家臣の清水吉政に討たれるシーンでしょう。
この敗戦を検分する幸隆と勘助を城から見たのは彦十郎。父の仇である勘助を狙撃し、勘助は肩先を撃ち抜かれて斃れます。肩先を撃たれただけでは本来は命に別状はないはずですが、西部劇などでも見られますように結構ショック死があるようです。で、同時期に由布姫が四郎勝頼を出産します。でも、このまま勘助が死んでしまってはドラマが終わってしまうので蘇生するのでしょう。次回はようやくGacktの長尾景虎(上杉謙信)が登場します。
史跡紀行では河越夜戦のあった埼玉県川越市の河越城本丸御殿や三芳野神社、河越夜戦跡碑の東明寺を紹介していました。川越は二度ほど行ったことがあるのですが、見どころがたくさんあり、何度行っても楽しい町です。写真のほうは取材で行ったものなので残っていませんが、スタンプはありますのでUPしておきます。
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投稿者:管理人
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