『風林火山』第38回「村上討伐」

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いや~本当にすいません。日曜にビデオ録画撮り忘れる大失態。土曜の再放送をみて一週間遅れでUPします。
村上討伐の前に安曇郡の小岩嶽城攻めが出てきましたが、予算を川中島におさえているのであっけなく落城して城主古厩盛兼は自刃します。この古厩氏は小笠原氏に従っていたのですが、いきなりこんな話に飛ばされても視聴者の方々は理解できるのでしょうか。
武田太郎義信の婚儀もありましたが、肝心の義信君にはセリフもなくスルーし、長尾景虎の上洛の話にいきなり飛んでしまう。ここんところ時代が進み方が遅いとはいえ、肝心の村上氏討伐では合戦シーンもない、なんかつなぎのような回でした。
唯一の見せ場は村上義清夫人玉ノ井(中島ひろ子)が、千曲川を渡る船頭さんに笄(かんざしのこと)を渡すシーンでしょう。これは村上義清夫人が支城の荒砥城に落ち延びる際にあったとされる逸話で、長野県坂城町には刈谷原ミニパークとして笄の渡しの案内板も立っています。しかし、川を渡り終えたあと、馬場信春の軍勢に見つかり、義清夫人と一行は自害。平蔵の子を宿したヒサだけが助けられて生き延びます。実際の義清夫人は自害してしまう説(姫宮の跡碑)と、船から川へ身投げしたけど助かった説、川を渡って城が落ちるのをみて涙を流して東国寺に駆け込んだ説(女涙坂)などがあります。ドラマでは姫宮の説を採用したわけですが、笄の逸話が有名だけに衝撃的でした。
史跡紀行はまたもや物語とは関係のない山梨県北杜市の若神子城や馬場信春の菩提寺である自元寺などを紹介していました。第20回で長野県坂城町を取り上げたので割愛したのでしょうか。せっかく笄の渡しの逸話を採用しているのだから、史跡紀行でタイムリーに紹介ほしかった気がします。
ということで今回の最寄はJR中央本線日野春駅。ここはきれいに押したスタンプが見つからないのですが、一応UPしておきます。この駅はSL時代に水を補給したところで、構内には写真左のような給水塔も残されています。そして有名なのが駅前にある鉄道公害訴訟の信玄公旗掛松の碑(写真中央)です。古くから信玄公の旗掛松と伝えられる松の古木があったのですが、ここで蒸気機関車の給水を行い長時間停車したため、その煤煙で松は開業10年後の大正3年(1914)に枯死。鉄道院を相手取って訴訟を起こし、国が地主に対して賠償金を払った最初の事件として、民法の判例でよく用いられます。ただし、松自体は信玄の時代のものでなく、実際は17世紀半ばのものであったことから賠償金は減額されたそうです。
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投稿者:管理人
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