『篤姫』第9回「篤姫誕生」

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 幾島(松坂慶子)登場。広川よりきつい教育にさすがの於一も圧倒されている様子です。しかし、「口にしたことは守り通す」という姿勢いいですね。口先ばかりの人間が多い世の中ですから人間的にもすばらしいことです。その一方で於一の薩摩訛りを指摘しており、これが菊本自害の理由に強引に結びつけようとしているのがミエミエです。だったら最初からそのような出自の娘を養女にもらわなければすむことですから……。
 この幾島についてまたまた桐野先生のブログを参考にさせていただきますが、調べてみますと家定正室篤姫の御年寄(奥向きのすべてを取りしきる役)で、最初は「藤田」と名乗っていたそうです。元々は薩摩の出身で、斉彬の祖父にあたる島津斉宣の娘郁姫に仕え、京都の近衛忠煕に嫁いだ際に上京。嘉永3年(1850)に郁姫が亡くなると出家して「得浄院」と号していたそうです。しかし、ドラマを観てますと剃髪していない様子。また幾島は「こぶ」のあだ名で呼ばれてように史実では大きなこぶがあったそうです。
 そしていよいよ於一が本題の「篤姫」を名乗ることになります。これは11代将軍家斉に嫁いだ正室広大院(8代藩主島津重豪の娘)が「篤姫(とくひめ)」を名乗っていたことにちなんで「あつひめ」と名づけられたそうです。
 一方で13代将軍となる家祥が父家慶の死に際してネジをまけとか、雨の中花に水をやっていたりと馬鹿殿ぶりを強調していましたが、どうもこれってわざと演じているようにもみえてしまうんですね。それとも『三国志』の阿斗(劉禅)のようなキャラなのでしょうか。
 史跡紀行では再び鹿児島市内に戻って石橋記念公園の西田橋と鶴丸城跡を紹介していました。元々は甲突川に架かっていた石橋を移転・復元したのが石橋記念公園で、ここには西田橋のほか、高麗橋・玉江橋も架かっています。併設の記念館は無料で見学でき、スタンプもあります。最初に行ったときは休館日でしたが、最終日に再度訪れてスタンプをGETしましたのでUPします。
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 それにしても鶴丸城跡の大奥跡があの駐車場とはビックリしました。昨年の『風林火山』でも高遠城跡の勘助郭跡も駐車場になっていたし、観光開発と史跡保存のギャップを感じてしまいます。
投稿者:管理人
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