『篤姫』第43回「嫁の決心」

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 将軍家茂死去で落飾しなくてはならない和宮様ですが、落飾をためらうと同時に役目は終わって都に帰ろうとします。一方、将軍職を継いだ慶喜も正室も江戸城へ入らず、大奥の存在が薄れます。まぁ、父斉昭があそこまで嫌われているのですから、城に入りたくなかったのでしょう。亀之助は出てこないけどどこ行った?
 落飾をためらっていた和宮様ですが、いきなり落飾を決意し、静寛院となります。しかし、都へ帰ろうとした矢先に兄孝明天皇が崩御。笑って静寛院を送り出そうとする天璋院に対し、その強さに感服します。そして江戸城に止まり、天璋院同様、徳川の女であることを決意します。天璋院が強いのは亡き家定公がついているからといい、まぁ冷え冷えの現在の夫婦関係に一石を投じるつくりになっていました。
 一方、薩摩では小松帯刀が月代をやめ、総髪になっていました。小松の肖像といえばあの月代が有名ですので違和感ありですが、実際は現存する3枚の写真のうち2枚が総髪だそうです。でも、総髪の肖像写真はみたことないので、やはりしっくりきませんね。そしてお琴と別れるといいながら、お琴との間に子が生まれています。この時点で千賀の甥の町田申四郎実種が養子となっていたと思うのですが、このあたりは割愛してしまうのでしょうか。
 あと、このあと四侯(松平慶永・島津久光・山内豊信・伊達宗城)と慶喜による列侯会議が出てきましたね。これ以前の文久3年(1863)末から翌年春まで行った参預会議の再現ですが、こちらが割愛されたため、いまいち幕府と薩摩が対立してゆくさまが読み取りにくいというか。でも、ここで薩摩は倒幕路線を突き進むことになり、土佐は幕府擁護に回ります。さて、来週はその大政奉還と龍馬暗殺です。龍馬暗殺の謎解きはここではどう描かれるか興味深々ですが、どうなることやら。
 史跡紀行では東京都港区の増上寺を紹介していました。ここは歴代将軍のうち2・6・9・12・14代将軍と和宮の墓が眠っています。普段は公開していませんが、4月上旬の御忌大会(ぎょきだいえ)ではこの将軍家の墓が公開されます。増上寺は東京タワーを借景とした大殿がスタンプの絵柄にも採用されており、JR浜松町駅のスタンプも同じ絵柄です。
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 先生の更新とタイミング合いませんでしたがこちらもどうぞ。
投稿者:管理人
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