『天地人』第32回「世継ぎの運命(さだめ)」

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時代は文禄2年(1593)、世継ぎの秀頼が生まれ、豊臣家に暗雲が立ちこめるところです。秀吉の養子として秀俊(上地雄輔)と秀次(眞島秀和)が登場。秀俊って最初誰だったっけとわかりませんでしたが、のちの小早川秀秋だったんですね。でも秀俊が養子に入ったのは天正13年(1585)で、まだこのときは数え12歳ですよ。いくら童顔(失礼!)の上地君でも12歳を演じさせるのはムリがありましょうに。
 で、秀俊が毛利家へ養子に出されそうになっているところ、毛利輝元から秀俊を上杉家への養子にともちかけられ、さすがの景勝・兼続主従も困惑した様子。もっともこんな話はドラマの創作で、実際は毛利家に送り込まれるところを叔父の小早川隆景が養子にもらい受けるんですね。兼続にはようやく嫡男の景明が誕生していますが、毛利輝元の嫡男秀就は文禄4年(1595)生まれだし、景勝の嫡男定勝に至っては慶長9年(1604)まで待たなくてはなりません。やれやれです。
 秀吉は関白秀次に「国を5つに分け、一つを秀頼にやってくれ」とか親馬鹿ぶりを発揮し、秀次が無視すると怒って伏見城を築城。朝鮮出兵に加え、伏見築城という諸大名たちへの負担に、家康が「ま~たれぃ、じぶのしょう」と三成を呼びとめて嫌味をいう。うーん、この灰汁の強いキャラはすばらしい。一方の三成と兼続は広間で寝そべって青春を語り合っています。なんて呑気な!
 兼続が春日山に帰国後、若狭屋の主人が湊で行き倒れになっている高貴な女性を助け、なんとそれが利休の娘お涼。映画『おろち』ですばらしい演技をみせた木村佳乃のストーカーぶりが活かされています。
 で、もってついに関白秀次には高野山への追放命令が出て、石田三成が鬼に変身するというところで次回に続きます。
 史跡紀行では京都市伏見区の伏見桃山陵や伏見城の石垣、御香宮神社、景勝橋などが紹介されました。なんとこの伏見区は7月28日に取材したばかり。しかし、なぜあのインチキ城の伏見城は取り上げなかったのでしょうか。伏見城は伏見桃山城キャッスルランドの施設として再建されたものですが、2003年の閉園後、城はかろうじて残されたものの、耐震強度などの関係で入城できなくなっています。それともまた別の機会に取り上げるのでしょうか? 今回は御香宮神社と境内にある伏見城石垣、JR桃山駅のスタンプをUPします。
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投稿者:管理人
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