手漉き和紙の里(KK)

6/8ページ

手漉き和紙の里(6)~桐生和紙~  by 菊地 正浩

  • 2009.04.27

●桐生城下町  文治2年(1186)、藤原秀郷(ひでさと)の後裔といわれる桐生小太郎綱元が住みついたのが始まり。観応元年(1350)、桐生国綱が市外の北郊梅田の里、柄杓山(標高361m)に城を築いた。通称、城山と呼ばれ今も山頂付近や山腹に馬回り、掘割などの遺構を残している。桐生田沼線という街道を行くと、城の入口には日枝神社がある。桐生国綱が神木として献じた楠の大木が生い茂っている。クスノキ科の常緑高木で南国から渡来、関東以南の暖地に生え、高さ20mにも達するもので普通は群生しない。しかし、ここの楠は4本の大木が並んで立っており珍しいとされている。昭和33年(1958)、群馬県の天然記念物に指定 […]

手漉き和紙の里(5)消えた小幡・秋畑紙  by 菊地 正浩

  • 2009.03.28

 群馬県甘楽郡甘楽町は県南西部、烏川の支流鏑川中流域南岸にある町で、町名は古代からの群名をあてた。朝鮮半島からの渡来人が定住した土地で、「韓(から)」が語源と伝えられている。  昭和30年(1955)、甘楽郡小幡町と秋畑村が合併。昭和34年(1959)に新屋村と福島町の一部を合併して甘楽町となった。中世(12~16世紀)から豪族小幡氏の勢力下で、南西部にある国峰城址はその名残りである。元和元年(1615)からは織田信長の次男信雄が小幡藩城主となり以後七代信富まで約150年統治した。今でも崇福寺の旧境内に織田家七代の墓がある。  小幡と秋畑は御荷鉾山地の山あい集落で、鏑川の支流雄川(おがわ)とい […]

手漉き和紙の里(4)~幻の湯倉・紙敷和紙  by 菊地 正浩

  • 2009.03.25

 千葉県夷隅(いすみ)郡大多喜(おおたき)町は県南東部に位置し、房総丘陵の山間部である。南西には養老川、東部は夷隅川が流れる盆地状の沖積地である。山といっても300m級の山で(愛宕山は408m)比較的低い。余談になるが、地球温暖化が進み海面上昇で日本列島に海進があれば、真っ先に沈む県が千葉県なのである。町名は滝が多いことからという説があるとおり、近くの養老渓谷にはたくさんの滝がある。  中世末期に武田氏が大多喜根古屋城を築いたのが始まりとされ、江戸時代の天正18年(1590)、本多忠勝が大多喜城を築城して10万石の城主となった。明治4年(1871)、大多喜県を設置したが、すぐに現在の千葉県とな […]

手漉き和紙の里(3)~修善寺紙(色好紙=伊呂与志紙)  by 菊地 正浩

  • 2009.02.28

 静岡県伊豆市修善寺、旧伊豆国(いつのくに)(豆州)修善寺は伊豆半島北部狩野川中流域に位置し、地名は古刹修禅寺(源頼家が幽閉された寺)による。大同年間(平城朝806~810)に弘法大師(空海)が修禅寺を開いた。弘法大師は鉄、銅製の棒状仏具をもって温泉を発見、「独鈷(とっこ)の湯」といわれる河原の共同浴場として有名になった。付近一帯は修善寺温泉街として開けた。昭和31年(1956)下狩野村、34年(1959)北狩野村を編入、2004平成の大合併で土肥町、天城湯ヶ島町、中伊豆町と合併して伊豆市となる。室町時代から修善寺と呼ぶようになり、寺の名前とは異なるようになった。  温泉街を流れる桂川上流沿い […]

手漉き和紙の里(2)~烏山和紙(栃木県特産無形文化財)  by 菊地 正浩

  • 2009.02.03

 栃木県那須烏山(なすからすやま)市は旧下野国東端にあり、東側の八溝(やみぞ)山地から西側は喜連川(きつれがわ)丘陵が広がる。町名は烏が金の幣束(へいそく)(裂いた麻や畳んで切った紙を細長い木に挟んで垂らしたもので、尊敬語では御幣といって親祭用具の一つ)を落とした土地に、那須資重(すけしげ)の築城によることからの由来。那須一族の支配する烏山城3万石の城下町として栄えた。中央部を那珂川が流れ、左岸の開けた段丘に市街が広がり、武家屋敷跡も残る。大正11年(1922)に烏山線が開通し東北本線と接続したが、それまでは奥州街道の要衝としての宿場町でもあった。昭和29年(1954)、境、七合(ななごう)、 […]

1 6 8