『風林火山』第15回「諏訪攻め」

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先日、第14回「孫子の旗」もUPしましたのであわせてお読みください。
武田氏と諏訪氏が政略結婚で同盟を結んでいたのに、諏訪氏が盟約を破ったというのは、晴信が父信虎追放後に、諏訪氏が小笠原・村上・木曽と連合し、甲斐に侵攻した瀬沢の戦いがモデルになっているものと思われます。もっともこの戦いは『甲陽軍鑑』以外に記述がなく、一部の史家に否定されていますが……。いずれにせよドラマでも先に盟約を破ったのは諏訪であり、なのに三条夫人が義理の妹の嫁ぎ先を攻めるのはおかしいと非難するのは明らかに変な話です。
ひとつ感心した点は原作の小説で諏訪氏の居城は高島城になっているのに対し、ドラマでは史実の上原城が拠点となっていることです。教来石景政は諏訪の家臣矢崎家に間者として入り、諏訪の西方衆を籠絡させ、いよいよ諏訪攻めになります。しかし、肝心の高遠頼継のほうは諏訪攻めに参加せず、戦の駆け引きが巧みに描かれています。でも、兵力差がいかんともしがたいのに、わざわざ諏訪が討って出る理由がわかりません。実際の上原城へ行けば分かりますが、標高978mの金毘羅山の山頂にあり、居館は麓にありました。いざ戦いになれば籠城できるようになっており、なかなか要害堅固です。しかもわざわざ戦わずして拠城を捨てて桑原城へ移るでしょうか? 妹の嫁ぎ先を攻めるのは道徳に反するというNHKの変な指導でもあるのでしょうか、このへんの描き方は妙に不自然さがぬぐえません。史実では上原城を攻められて落城、桑原城に拠って最後の抵抗を試みたのですから。それにしても勘助を「醜い悪鬼」とののしる由布姫の柴本幸は違和感が未だにとれません。見慣れてくるとよいのですが……。
史跡紀行では伊那市高遠町を紹介。今は場所しか断定できない高遠城跡の勘助郭や諏訪御料人(由布姫)の墓がある建福寺が登場しました。それにしても撮影した時期は冬場だったようですが、本来の高遠の目玉は春のサクラ。映像を他の業者に借りるなりして季節的にも春の高遠を紹介してほしかったです。僕も本制作で高遠を取材したのが秋でしたので、春のサクラは高遠町観光協会から借りました。なお、代表の森田芳夫氏は伊那市ふるさと大使でもあり、この取材でも大変お世話になっています。
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投稿者:管理人
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