ふるさと心の旅

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ふるさと心の旅、今回は私の故郷静岡県由比町にある景勝地、薩埵(さった)峠を紹介します。
「トンネルを抜けると突然、窓越しにはまばゆいばかりの青い海が広がり、そしてその向こうには、覆い被さるように堂々とそびえる富士山が…… 」
東名高速道路なら、静岡から上り線薩埵トンネルを出たとき、JRなら東海道本線興津駅から上り薩埵トンネルを出たときに、お天気次第で前方に写る光景です。峠はトンネルの出口付近の頭上、薩埵山を通る旧東海道の峠をいいます。
薩埵山はその昔、南北朝時代の『太平記』では足利尊氏とその弟直義とが戦い、戦国時代は武田信玄・今川氏真・北条氏康らが、三ツ巴の争いを繰り広げた戦いの山です。東海道の難所薩埵峠は、鎌倉時代の『海道記』に、北国の道中にも此の名ある、親不知子不知の話に名高く、「ここを通る時は、親も子を返り見る暇なく、子も親を頼りにすることができない」と語られる峠です。険しい峠ゆえに、見渡す景色は美しく、山部赤人の『万葉集』で「田児の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける」と当時、興津から原までを広く、「田子の浦」と言っていた頃、赤人が険しい薩埵峠越えで、開けた眺望に感激して、この詩を読んだと言われています。残念ながら、『東海道中膝栗毛』に登場する弥次さん喜多さんは、ここ倉沢の海岸で獲れた、鮑やサザエに舌包みをうっている間に大雨になり、美しい景色も見ずに急ぎ足で、興津の宿に下ったようです。安藤広重の五十三次の由井の風景は、この薩埵峠から見た駿河湾と富士を描いていますね。
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峠の下は海岸線すれすれに、国道1号線、東海道本線など、日本の大動脈が通っています。当時、ルート選定で、山岳地帯は工事難と多額の経費がかかるため、海岸線に決定しました。鉄道に至っては明治21年(1888)1月から由比海岸の工事が始まり、翌22年7月東海道本線東京~神戸間全線開通。ちなみに東京~大阪間の旅行費用は、明治初年の頃は、かご賃や宿賃その他で、11円36銭(約14万2000円)、鉄道開通時の明治22年は、わずか3円33銭(4万2000円)で、所要20時間余りだったそうです。当時、酒1升は約12銭でした(鉄道料金は、酒1升1500円として換算。ただし、当時の価値観は定かではありません)。
現在は新幹線に多くの客が移り、ローカル色が濃くなった東海道本線ですが、以前は峠の下、山下海岸を壮大な富士山をバックに、国鉄の花形列車が走る姿は、絵の世界そのものでした。
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今でもこの海岸は、鉄道写真のベストロケーション。富士山が見える晴れた日には、数少ないブルートレインなどの撮影に、多くの鉄道ファンが線路脇で、カメラを構えています。薩埵峠へはJR由比駅下車。駅前の旧国道を西へ200mほど進み、山側に折れると、寺尾・倉沢の集落のなか、旧東海道を約3キロ半、ゆっくり1時間のハイキングコースです。自動車でも小型車なら、倉沢の西端からの急坂と、狭い道に注意すれば、峠の近くの駐車場まで行けます。峠までの道は整備されていますが、周りの景色は昔のままです。由比名産のビワとミカンの実る道を、広重の世界へ歩きませんか?
※インターネットの由比ライブカメラで薩埵峠をいつでも見れますよ。
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投稿者:にわあつし
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