『天地人』第9回「謙信死す」

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 日曜というのに出張校正があり、午前様で帰ってきてから録画をみました。
 今回で阿部謙信は亡くなります。死に際に兼続を呼び寄せ、口をパクパクしていましたが、何が云いたかったんだか分からない。むしろこれを機に「後継は景勝様じゃ」とでっち上げるかと思いましたが。すでに謙信が死ぬ前から景勝派と景虎派が分かれて争っていましたが、謙信が亡くなるとエスカレート。そこにお船の方の母妙椿尼が「家督は景勝」とでっち上げます。なぜこの場に妙椿尼が? と驚きでしたが、謙信の姉で景勝の母である仙桃院も、このウソにのってしまいます。
 結局、仙桃院、妙椿尼、お船、兼続の4者で謀議がされ、景勝が後継となってしまうのです。仙桃院ならともかく、ここにお船と兼続を加えたのは、のちのお船の再婚へと伏線としたかったのでしょう。お船は「直江家の女として覚悟はできている」と云い、兼続に「何かあったときはそなたを頼る」と云っています。
 景虎の側近・遠山康光が不気味な存在ですが、上田衆の台頭を嫌う柿崎晴家と北条高広は景虎支持です。晴家は景勝派によって謀殺されたようですが、ここでは果敢に景勝の屋敷に棒をもって攻め寄せてまいりました。弟か子の憲家は景勝支持に回っていますが、こちらは出てきません。
 いずれにせよ安穏な日々は終わり、景勝・兼続主従にとって修羅場が始まります。
あと、他の先生方の批評も併せてお読みください。
橋場日月先生『日次記(ひなみき)』
桐野作人先生『膏肓記』
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 史跡紀行では景虎の故郷である神奈川県小田原市と箱根町が出てきました。北条氏の居城・小田原城はインドゾウの梅子さんが有名です。梅子さんは昭和25年(1950)に来日。小田原市の花であるウメから名付けられました。当時推定3歳だったそうですから、今年で62歳になりましょうか。小田原城の再建が昭和35年(1960)なので、城よりも先輩なのです。僕は小田原城へ二度行きましたが、ゾウの長生きと飼育係の尽力に感心しました。この梅子さん、かなりの人気者で、水をお客にかけるというお茶目な芸ももっています。小田原城の動物園はこの梅子さんが亡くなると閉園されてしまうそうなので、早めに会いにいくとよいでしょう。
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 あともうひとつは箱根の北条五代の墓がある早雲寺で、ここは景虎が幼少時を過ごしたところ。ここは2007年11月に『篤姫』の取材で訪れています。このときは箱根湯本から箱根関所を経由し、バスで熱海へ出て清水で一泊という変わったルートで旅をしました。
 今回は大盤振る舞いで小田原城と梅子さんおよびJR小田原駅のスタンプ、早雲寺と箱根登山鉄道箱根湯本駅のスタンプをUPします。
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投稿者:管理人
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